角田光代「坂の途中の家」

Twitterが死につつあるので、ブログに感想を手短に残しておくことにする。

角田光代の「坂の途中の家」、妻に勧められて?読み始めた。
虐待死の裁判員を務めることになった女性が、自分の子ども、そして夫との関わりの中で、有形無形のプレッシャーに晒されて追い詰められていく様を描いている。この、有形無形というのがなかなかの描写で、たとえば子どもに対してきつく当たったことを自分がどう見られるのかと反芻する様や、夫からビールを飲むことを暗に非難される、子どもを躾のために置き去りにしたところを目撃され「虐待」と見做される、それらが自分の中で、そして他者との間でどうにも解決しないままにぐるぐると鬱積していくところがなんとも感じが悪い。
裁判の中で、彼女はその「攻撃」が、明確には見えない形で行われることに気づいていく。二人の間で本当は何があったのか、それは誰にも知ることができず、確かに追い詰められる何かが生じていたのではないかと主人公は気づく。が、それは誰にも開かれていかない。この本は、文自体はかなりクリア・カットで読みやすいのに、上述のように誰にも開かれずに鬱積していく様があまりに気が重く、15ページくらい細切れにちびちびしか読めない。自分は感情移入しきれないというか、しきらないようにしているのかもしれないと思った。
まだ6−7割しか読んでいないので、読み終わったら続きを書くかもしれない。