現代クライン派入門 第12章

ジョセフが書いている。ケースプレゼンテーションが面白い。

頻度変更を巡って、侵入や強要と、同意や合意のプロセスを巡る葛藤がワーッと展開してる感じ。ジョセフはそれを解釈してるわけだけれど、この事態に留まっている・認識していることが重要に思えるけど。

しかし、解釈しなければ、基本は好き勝手に言ったもん勝ちになってしまう。放っておくと、事態は平衡の維持に向かうし、病理的なパーソナリティが跋扈する、というのは現代クライン派の基本スタンスではある。

他方で、ゴリゴリ解釈すると傷つけ過ぎたりへたったりしてしまう場合もあるわけで。解釈の機能とはなんなのか。